産経、正論の芳賀教授のお話、素晴らしいです。この様な方が、日本人の先達として、発言してくださることが、嬉しいです。
「 文・理合一を理想とした寺田寅彦は、自然科学の成果にも「人間的な声」を聞くことができると言った。文は人なり。学は人なり。「全人格的志向」から賢者の境に至る道は文も理も差異はない。
私も襟を正して、再度、物の道理をわきまえるべき人間にならなければ、と思っております。
学生のころ、父から教わった言葉でもあります。沢山のクライアントとお仕事をさせて頂き、また、10代の学生を指導する立場の人間でもある私です。日々の心がけを新たに、仕事をしていきたいと思います。
2代続けて途中退場した都知事は、将来、日本の社会で立派に活躍できる大人になるべき、純粋で、ピュアな子供たちのためにも、テレビにでるべきではないと思うのです。何をしても、簡単にテレビに復帰をして、コメンテーターになれるのであれば、本当の反省はいらない、と子供達は勘違いしてしまうかもしれません。未来の子供たちの心は、宝物ですから、なるべく、芳賀先生の様な良い方に触れて欲しいですね。
(2代続けて途中退場した都知事は、残念ながら、問答無用の人たちなのですから。)
心の品位の欠如はいけません。常に心を磨かなければなりませんね。
奈良、中宮寺です。ご訪問して、弥勒菩薩さまから、心の品位を教わりました。
Yoshiko
2代続けて卑小な行動で途中退場した都知事…道義的潔癖の範となる日本人に 東京工業大学名誉教授・芳賀綏
一部ご紹介させて頂きます。「 文・理合一を理想とした寺田寅彦は、自然科学の成果にも「人間的な声」を聞くことができると言った。文は人なり。学は人なり。「全人格的志向」から賢者の境に至る道は文も理も差異はない。
話を学問の世界に限ってきたが、物の道理をわきまえるべきは学問する人間に限らない。スポーツ、芸能、経営、政治…。人間活動全ての領域に共通することだ。
権力志向も支配欲も人一倍強くてむしろ当然の政治家は、同時にノブレス・オブリージュ(地位高き者の責任)の自覚も他に増して強くなければならず、たしなみ不足、無分別の浅ましさを露呈すべきではない。近時、東京都知事が2代続けて卑小な行動が因で途中退場したのも、心の品位の欠如、節度忘失を印象づける姿だった。」
http://www.sankei.com/column/news/160725/clm1607250007-n4.html私も襟を正して、再度、物の道理をわきまえるべき人間にならなければ、と思っております。
学生のころ、父から教わった言葉でもあります。沢山のクライアントとお仕事をさせて頂き、また、10代の学生を指導する立場の人間でもある私です。日々の心がけを新たに、仕事をしていきたいと思います。
2代続けて途中退場した都知事は、将来、日本の社会で立派に活躍できる大人になるべき、純粋で、ピュアな子供たちのためにも、テレビにでるべきではないと思うのです。何をしても、簡単にテレビに復帰をして、コメンテーターになれるのであれば、本当の反省はいらない、と子供達は勘違いしてしまうかもしれません。未来の子供たちの心は、宝物ですから、なるべく、芳賀先生の様な良い方に触れて欲しいですね。
(2代続けて途中退場した都知事は、残念ながら、問答無用の人たちなのですから。)
心の品位の欠如はいけません。常に心を磨かなければなりませんね。
奈良、中宮寺です。ご訪問して、弥勒菩薩さまから、心の品位を教わりました。
Yoshiko
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